PL-Lが10日の夜に届いてから8日間経過、エージング時間にして約80時間が経過。
その間、既に真空管を交換したりしていますが、それも含めて、PL-Lの“音”について書き留めておきたいと思います。
オーディオの世界に“プリアンプ不要論”が存在しているのはご承知の通り。
「入力切替と音量調整を他の機器〜例えばCDP、DAC、あるいはパッシブなアッテネーター等々で代替できるならば、余計な増幅回路(特にプリアンプのラインステージ)は通さずにソース信号をパワーアンプに最短で入れてやった方が鮮度の高い音になる」
という趣旨だと認識していますが、これ自体は間違いではないと思います。
先の日記で触れましたが、私は小音量派なのでPL-L〜SS010をそのままつないでしまうとゲインが高すぎて使いにくいため、PL-LおよびSS-010のアッテネーターによってゲインを落としてみました。しかしながら出てくる音は鮮度が若干スポイルされた大人しい音になってしまい、これではダメだと思ってアッテネーターでのゲイン調整は取りやめたわけです。
私が使用しているWadia521の取説でもパワーアンプ直結を推奨していますし(これはある意味Wadiaが誇るデジタルボリュームコントロールとアナログ出力段におけるI/V変換回路SwiftCurrent3Dに対する自信の裏返しでもあると思いますが)、SS-010の取説にも(高品質/高精度のアッテネーターを使用したラインステージを搭載している故)高品位なプリアンプを使わない限りにおいてはソース機器から直結にした方が音が良いと書いてあります。
私はプリアンプは必要だと思っていますが、本当のところはどうなんでしょう?
PL-Lをシステムにインストールして10時間ほどバーンインを行った時点で初めてCDを聞いてみた(それまではシステムエンハンサーとTVの音でバーンインを行っていた)のですが、実はその時点でのPL-Lの音は少し期待はずれでした。
多少奥行き感が出てサウンドステージが少し広がったものの、音そのものは、良く言えば“色づけのない素直な音”、悪く言えば“素っ気ない音”でした。真空管に期待していた温かみや艶みたいなものはほとんど感じません。
とは言うものの、PL-Lを通すことでいつも聞いている“音”とは少し違った印象を受けたのも事実。何というか、素っ気ないんだけれども一つ一つの音の鳴り方が微妙に変化して、違う演奏を聴いているような感じがしたのです。
この直後、
もしかしたら化けるかもしれないという期待感と、少しでも早く良い音を聴きたいという焦りから、早くも真空管(12AX7)をEHからTESLAに交換してしまったという次第。
音を出さずに約8時間ほど温めた後、再度試聴を行いました。
聴き始めて30秒ほど後。
「PL-Lを買ってよかった!」とちょっとホッとしつつ、「これがプリアンプの実力というものか!」と熟々思い知らされたのです。
それは私の漠然とした期待を明らかに超える音でした。
それから何枚ものCDを取っ替え引っ替えして聴き続けました。
音のエッジがきっちりと立って、一つ一つの音が活き活きとしています。
楽曲のリズムにこれまでになく意識が向かいます。
演奏家が、楽器の音が、そして音楽が躍動しています。
音が鋭く立ち上がり、消え際は美しく繊細です。
倍音が豊かになり、ヴァイオリンは艶やかにホールに響きます。
サウンドステージは深く広く高くなり、文字通り3Dに展開。
楽器の定位感も見事。特に前後の位置関係がこれまでになく明確に聞き取れます。
音の骨格が強靱になり(骨太という意味ではない)音量を絞ってもバランスが崩れません。
小さなPL-Lが我が家のシステムの音をコントロールし始めたのです。
そう、優れたプリアンプはひとつひとつの“音”を磨き、それらを有機的に結びつけ、心動かす“音楽”として再構成してくれるのです。
もしかしたら“信号”としての鮮度は落ちているのかもしれません。しかしそれを補って余りあるほど、“音”を、“音楽”を、魅力的なものにしてくれるのです。
(つづく)